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2011.04.06 *Wed

あの日のこと

あの地震から1ヶ月。
その間色々なことがありました。
実家も被災地になったけれど今は普段と変わらない生活。
相変わらず余震はありますがなんとかたえてます(家の耐久的な意味でも)


震災当時、私は相方殿のところにいました。
いきなり防災無線での地震警告。あの音はトラウマ。
どうしていいかわからず少しの間頭が働かなかったけれど、とりあえず逃げ道確保のためサッシを開けた。
後はテレビをつけて・・・
今までにみたことのない地震報道と津波の警告。
そして二度目の地震。
上から落ちてくるものは殆どないけれど、これからどうしたらいいのかわからない。
とりあえず、母親と相方殿にメール。
ドコモの母親は割りとすぐ送信して返信もきたけれど、相方殿には送信出来ず・・・ソフトバンク・・・
相方殿と連絡が取れたのは暫く経ってからだった。
テレビで交通機関の麻痺で帰宅難民の話題もしていた。
当然、会社にいっている相方殿も帰って来れないとは思っていたけれど、こんな状況でひとりで夜を過ごすのは想像以上に怖く心細かった。
実家の身内や叔母・数少ない友人とネット仲間にも安否確認メールを送ってみた。
思いもかけない人から心配のメールが来たり有難かった。
こういう時、普段はわからないその人のことを垣間見れる可能性が高い。

良くも悪くも。

翌日、電車がなんとか復旧してから相方殿は午後帰ってきました。
地震からの不安や心細さで泣いてしまった(毎度毎度情けないとは思うものの本当に怖かった…)
昨夜は寝ないでお仕事をしていたそうで、変わりに明日お休みを貰ったと聞き凄く嬉しかったのを覚えている。
結構なショックだったのは母と祖母・弟家族は近くの体育館に避難したという事実。
ネット(主にツイッター)で調べたら思ったより酷かった・・・今年の初めにいった神宮の鳥居が倒壊。
いつも仕事に行き来する時に通る橋の真ん中が落ちていたり、沿岸部は津波の被害にあっているなど悲しかった。


それから計画停電と品不足の生活が始まった。
テレビでみるバーゲンの時そのままの光景のスーパーに恐怖。
ただでさえ人が多い場所は苦手なのに、殺伐とした空気が加わると私には凶器にすら思える。
そしてスーパー中どころか行き来も動悸など起こるようになった。
地震酔いや不安から安眠が出来なかったりは仕方ないと思っていたけれど、
被災地でもないのにこんなことになるなんて。悲しい気持ちと自分の弱さが情けない。
手伝っている決算分が終わったら相方殿のところに落ち着いて、アルバイトしようと求人をみていたりしていた矢先地震が起きこんなことになってしまった。
やっと、やっと少しだけ前に進めるかもと思っていたのに…なんでこんな…

手持ちの薬がなくなることもあったけれど、どうにも辛くて相方殿のところの近くで病院にかかることにした。
ずっと通院してしている今以外の病院には一度も行った事はないので不安というか怖かった。とても。
それでも行かなくてはならない。ネットで調べて最寄駅の近くにある個人のクリニック2つを候補にした。
最後に選んだ決め手は私が自分で行く時に近い方。ということで某クリニックに決めた。
HPでの待合室の画像がちょっと気になったのもあった。
窓際に並んでいるオレンジ色のソファに陽が注いで暖かそうな光景だった。
予約制ではないとのことなので、診療開始時間の1時間前に部屋を出た。
金曜日だったけれど半休とってくれて相方殿が付き添ってくれた。
特殊な部類の診察に行くにあたり、ひとりではないということはとても心強かった。

時間になり中に入って間もなく看護士さんに呼ばれ、別室でカルテ作成のため今までの経過などを簡単に話した。
そして「身内や周囲の理解やサポートお陰で1日1日マイペースですが生きています」と言った。
看護士さんは女性で優しく綺麗な人だった。私の言葉に同調するように相槌。
そして「大変でしたね。でもこれらのことを経てそういうことを言えるって凄いって思いますよ」と言ってくれた。
涙が出た。私は凄くなんかないけれど色々な感情が溢れてしまった。

診察も至ってスムーズに行われた。
親身になって考えてくれている感じのする診察だった。
普段処方されている薬に頓服を追加という形におさまった。
相方殿にはとにかく「大丈夫」と言い聞かせるように話していた。
今の症状が一過性のものであって欲しいと切に思った。
過去のPTSDに追加はもういらない。

それから症状は相変わらずだったけれど、夜とお休みの日は相方殿がいてくれたお陰でなんとか過ごすことが出来た。
水道が通りガソリンの心配も深刻ではなくなったころ、仕事のこともあり母親と相談し実家に戻る日を決めた。
被災地になってしまった地元に戻ることは家族に会える嬉しさと、地震の影響を目の当たりにする怖さが入り混じりとても複雑な心境。そして戻るということはずっと傍にいてくれた相方殿と離れるということになる。
地震関連とはまた別の意味で落ち着かなくなった。
それでもなんでも、仕事があるから戻るしかない。その日が来たら向かわなくては行けない。
今回の様々な出来事があったことでひとつの考えがまとまった。
地震のお陰かもしれないけれど、もうこんなことは起こらないで欲しい。
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